黄昏時(たそがれどき)
- KOJI Nishimura
- 3月7日
- 読了時間: 3分
更新日:5 日前
夕陽が沈み、空に淡い光が残るころ。昼でもなく、夜でもない。その境界に立つ短い時間を、私たちは「黄昏時(たそがれどき)」と呼んできました。

この、どこか懐かしく、どこか切ない響きを持つ言葉。なぜ「黄昏(たそがれ)」」というのでしょうか。黄昏時という言葉の由来や意味、日本文化におけるその特別な情緒について、丁寧に考えてみたいと思います。
黄昏(たそがれ)の意味
「誰そ彼(たそかれ)」から生まれた言葉
「黄昏(たそがれ)」という言葉は、もともとは「誰そ彼(たれぞかれ)」が転じたものだとされています。日が傾き、光が弱まり、遠くにいる人の顔もはっきりと見えない。そんなとき、人は「誰そ彼(あれは誰だろう)」と問いかける。そこから、「たそかれ」「たそがれ」という音が生まれたようです。
つまり黄昏とは、人と人とを隔てる「見えにくさ」「不確かさ」から生まれた言葉なのです。
「黄昏」の漢字の由来
「黄昏」という漢字表記は、中国からの影響も受けつつ、日本独自に定着しました。「黄」は夕陽の金色の光を指し、「昏」は暗くなること、すなわち日が沈んで夜に向かうことを意味します。

つまり、「黄昏」とは、太陽の光が金色に染まりながら、次第に暗くなっていく時間を表現した言葉なのです。この漢字表現によって、視覚的な情景と時間の流れがより豊かに結びつき、日本的な情緒をいっそう深めています。
黄昏時の文化的な意味
逢魔が時(おうまがとき)との関連
黄昏時は、「逢魔が時(おうまがとき)」とも呼ばれてきました。これは、人と人との境界だけでなく、この世とあの世の境界も曖昧になる時間とされ、妖怪や幽霊に出会いやすいと考えられていたためです。
闇に溶け込むようにして、異界が近づく。そんな日本独特の世界観も、黄昏時には色濃く表れています。
恋の始まり、別れの予感
また、黄昏時は、恋の始まりや別れの予感を象徴する時間でもありました。夕暮れの光のなか、誰かを思う気持ちが強まったり、言えなかった言葉が胸に迫ったり。そうした微細な心の動きを、日本人は黄昏時の空気感に託して、静かに語り継いできたのです。
黄昏時が心に与える影響
移ろいの美しさを感じさせる
黄昏時は、変わりゆくこと、移ろいゆくことを、私たちにそっと教えてくれます。
昼から夜へと静かに移る時間のなかで、「変わることは怖くない」「終わりは始まりでもある」という感覚を自然に受け入れられるのです。
孤独とつながりを同時に味わう

黄昏時に感じる少しの寂しさは、同時に、誰かとつながりたいという気持ちを呼び起こします。それは孤独ではなく、むしろ人との絆を再確認するための時間、そんな優しい孤独なのかもしれません。
移ろいを慈しむ
「すべてのものは消え去る。しかしその消えゆく姿のなかにこそ美しさは宿る。」
与謝野晶子(Yosano Akiko/日本/歌人・作家/1878–1942)
与謝野晶子のこの言葉が示すように、黄昏時もまた、失われること、変わっていくことを、恐れるのではなく、静かに慈しむ時間なのかもしれません。
黄昏時に立ち止まる
黄昏時は、ほんのわずかな時間です。けれどその間に、空の色も、風の匂いも、心の景色も、確かに変わっていきます。
今日という一日を、そして今この瞬間を、そっと抱きしめるために。時には立ち止まり、黄昏時に染まる空を、静かに見上げてみたいと思います。
参考文献・参考資料
日本国語大辞典「黄昏の語源と変遷」https://www.nichigai.co.jp/dictionary/tasogare
平安時代の色彩文化(京都大学 文学部)
日本民俗学会「逢魔が時と異界の信仰」https://www.minpaku.ac.jp/research/oumaga
与謝野晶子著『みだれ髪』