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菖蒲色(あやめいろ)に染まる

更新日:5 日前

夕暮れの空が、ふと紫がかった色に染まるとき。

その色は、燃えるような赤でもなく、沈みゆく青でもなく、どこか静かで深い情緒をたたえた色。日本人が古くから「菖蒲色(あやめいろ)」と呼んできた美しい紫の一種です。


菖蒲色という日本独特の色彩表現について、その由来や文化的背景、紫色が高貴とされた理由なども交えながら、静かに考えてみたいと思います。



菖蒲色という色の由来


菖蒲(あやめ)の花にちなんだ色


菖蒲色は、その名の通り、初夏に咲く菖蒲の花の色に由来します。菖蒲の花は、紫を基調に、青みや赤みをわずかに帯びた複雑な色合いを見せます。その気品ある色を、古代の人々は「菖蒲色」と名付け、衣装や染織に取り入れてきました。


自然のなかに溶け込むようでありながら、確かな存在感を放つ。そんな菖蒲の美しさを、色で表現しようとした日本人の感性が、そこには息づいています。


平安時代の『襲の色目』にも登場


平安時代の宮廷文化では、「襲(かさね)の色目」と呼ばれる衣装の配色美が重んじられました。菖蒲色は、その中でも春から夏にかけての装いに好まれ、「菖蒲襲(あやめがさね)」という色合わせが生まれました。


深い紫と淡い紫の重なり、それは、季節の移ろいとともに身にまとう美意識の結晶だったのです。



紫色が高貴とされた理由


染料の希少性


古代から紫色は、非常に高価な色とされてきました。天然の紫色の染料を得るには、莫大な労力とコストがかかりました。西洋では貝から取れる「ティリアンパープル」が、東洋では植物の紫草(むらさきそう)がその役割を担いました。こうした希少性ゆえに、紫は特別な人しか身にまとうことが許されなかったのです。



日本における紫の位


日本でも、奈良時代に制定された「冠位十二階」制度において、最上位の色として「紫」が用いられました。紫を身にまとうことは、単なる富や権力の象徴ではなく、精神性や人格の高さを示すものとされました。


その精神は、時代が下っても変わらず、日本人の中に「紫=高貴・精神性の象徴」という意識を深く根づかせてきたのです。



菖蒲色が心に与える影響


静寂と集中をもたらす色


紫系統の色は、色彩心理学的にも「精神の集中」「内省」「直感力」を高める効果があるとされています。特に菖蒲色のように、鮮やかすぎず、わずかに青みを帯びた落ち着きのある紫は、心を静かに鎮め、深い思索へと導いてくれる力を持っています。


夕暮れの空に広がる菖蒲色を見つめていると、言葉にならない感情や、心の奥底に沈んでいた想いが、そっと浮かび上がってくる、そんな静かな時間が訪れます。


芸術性と創造性を刺激する


また、紫色は古くから「芸術性」や「創造性」とも結びつけられてきました。

菖蒲色の柔らかな光に包まれるとき、私たちは日常の論理や効率を超えて、もっと自由な発想や、繊細な感受性に心を開くことができるのかもしれません。




紫は内なる声の色


紫は、沈黙の中で最も多くを語る色である。」

ジョルジュ・サンド(George Sand/フランス/作家/1804–1876)


サンドのこの言葉が示すように、菖蒲色のような深い紫は、声高に語るのではなく、沈黙の中で静かに、しかし確かに心に語りかけてくる色なのです。



菖蒲色に染まる空の下で


陽が沈みかけた空が、ほんの短い時間だけ見せる菖蒲色の輝き。その瞬間に出会えるとき、私たちはきっと、自然と自分自身の深い部分とを、そっと結び直しているのかもしれません。


静かな時間、深い呼吸、内なる声。菖蒲色に包まれるひと時は、そんな静かな再生の時間なのだと感じています。




参考文献・参考資料



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