菖蒲色(あやめいろ)に染まる
- KOJI Nishimura
- 3月3日
- 読了時間: 3分
更新日:5 日前
夕暮れの空が、ふと紫がかった色に染まるとき。
その色は、燃えるような赤でもなく、沈みゆく青でもなく、どこか静かで深い情緒をたたえた色。日本人が古くから「菖蒲色(あやめいろ)」と呼んできた美しい紫の一種です。

菖蒲色という日本独特の色彩表現について、その由来や文化的背景、紫色が高貴とされた理由なども交えながら、静かに考えてみたいと思います。
菖蒲色という色の由来
菖蒲(あやめ)の花にちなんだ色
菖蒲色は、その名の通り、初夏に咲く菖蒲の花の色に由来します。菖蒲の花は、紫を基調に、青みや赤みをわずかに帯びた複雑な色合いを見せます。その気品ある色を、古代の人々は「菖蒲色」と名付け、衣装や染織に取り入れてきました。
自然のなかに溶け込むようでありながら、確かな存在感を放つ。そんな菖蒲の美しさを、色で表現しようとした日本人の感性が、そこには息づいています。
平安時代の『襲の色目』にも登場
平安時代の宮廷文化では、「襲(かさね)の色目」と呼ばれる衣装の配色美が重んじられました。菖蒲色は、その中でも春から夏にかけての装いに好まれ、「菖蒲襲(あやめがさね)」という色合わせが生まれました。
深い紫と淡い紫の重なり、それは、季節の移ろいとともに身にまとう美意識の結晶だったのです。
紫色が高貴とされた理由
染料の希少性
古代から紫色は、非常に高価な色とされてきました。天然の紫色の染料を得るには、莫大な労力とコストがかかりました。西洋では貝から取れる「ティリアンパープル」が、東洋では植物の紫草(むらさきそう)がその役割を担いました。こうした希少性ゆえに、紫は特別な人しか身にまとうことが許されなかったのです。

日本における紫の位
日本でも、奈良時代に制定された「冠位十二階」制度において、最上位の色として「紫」が用いられました。紫を身にまとうことは、単なる富や権力の象徴ではなく、精神性や人格の高さを示すものとされました。
その精神は、時代が下っても変わらず、日本人の中に「紫=高貴・精神性の象徴」という意識を深く根づかせてきたのです。
菖蒲色が心に与える影響
静寂と集中をもたらす色
紫系統の色は、色彩心理学的にも「精神の集中」「内省」「直感力」を高める効果があるとされています。特に菖蒲色のように、鮮やかすぎず、わずかに青みを帯びた落ち着きのある紫は、心を静かに鎮め、深い思索へと導いてくれる力を持っています。
夕暮れの空に広がる菖蒲色を見つめていると、言葉にならない感情や、心の奥底に沈んでいた想いが、そっと浮かび上がってくる、そんな静かな時間が訪れます。
芸術性と創造性を刺激する
また、紫色は古くから「芸術性」や「創造性」とも結びつけられてきました。
菖蒲色の柔らかな光に包まれるとき、私たちは日常の論理や効率を超えて、もっと自由な発想や、繊細な感受性に心を開くことができるのかもしれません。

紫は内なる声の色
「紫は、沈黙の中で最も多くを語る色である。」
ジョルジュ・サンド(George Sand/フランス/作家/1804–1876)
サンドのこの言葉が示すように、菖蒲色のような深い紫は、声高に語るのではなく、沈黙の中で静かに、しかし確かに心に語りかけてくる色なのです。
菖蒲色に染まる空の下で
陽が沈みかけた空が、ほんの短い時間だけ見せる菖蒲色の輝き。その瞬間に出会えるとき、私たちはきっと、自然と自分自身の深い部分とを、そっと結び直しているのかもしれません。
静かな時間、深い呼吸、内なる声。菖蒲色に包まれるひと時は、そんな静かな再生の時間なのだと感じています。
参考文献・参考資料
日本色彩学会「菖蒲色に関する伝統色彩研究」https://www.color-science.jp/research/ayame_color
日本伝統色大事典(小学館)https://www.shogakukan.co.jp/books/traditional_colors
サンド著『静かな色彩』
色彩心理学と紫色の精神的影響(東京大学 心理学部)https://www.u-tokyo.ac.jp/research/purple_emotion