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日常における非日常の大切さ 1/f

更新日:5 日前

心が緩む瞬間をつくるということ


「いつも通りに過ごす」ことは、ときに安心であり、ときに疲労の原因にもなります。私たちは日々、繰り返される習慣の中で、自分でも気づかないうちに心をすり減らしているのかもしれません。



だからこそ、日常の中に「ほんの少しの非日常」を差し込むことが、心と体のバランスを保つためにとても大切です。“ゆらぎ”と呼ばれる1/fリズムの考え方を手がかりに、日常の中で「不規則な心地よさ」を見出すことの価値について考えてみたいと思います。その一例として、「夕陽を観る」という行為に込められた癒しの力にも触れながら。



「1/fゆらぎ」とは何か 心地よさの科学的なリズム


規則と不規則のあいだにある美


「1/fゆらぎ」とは、規則性と不規則性が絶妙に混ざり合ったリズムのことを指します。心臓の鼓動、小川のせせらぎ、木漏れ日、ろうそくの炎の揺れ。どれもが予測不能なようでいて、全体として調和がとれています。


このリズムは、1980年代に日本の物理学者・武者利光氏らによって自然界の多くに存在することが示され、人間の脳波や自律神経に対してリラックス効果をもたらすとされています。脳はこの「適度な予測不能さ」に安心を覚え、心が緩むのです。


一定でないから癒される


面白いのは、完全に整った規則性ではなく、“少しズレた”不規則性のほうが、人の感性には心地よく響くという点です。たとえばメトロノームのような一定のリズムは緊張を生みやすい一方、木々の揺れや波の音のような1/fの揺らぎには、脳の緊張を解く作用があります。

だからこそ、自然に触れることが癒しになるのです。それは私たちが本能的に「不完全な美しさ」を求める存在だからかもしれません。



自分のリズムの中に「ゆらぎ」を取り入れる


「夕陽を観る」という日常における非日常の時間


夕陽は、毎日同じようでいて、決して同じではありません。色も、形も、沈む速度も、雲の流れも、風の匂いもすべてがその日だけのもの。つまり、夕陽を観るという行為は、日常の中にひとつの“非日常”を生み出してくれるのです。ほんの5分でも、夕陽の空を見て立ち止まる。自分の中のリズムがほどけ、整っていくのを感じるのではないでしょうか。



規則的な生活の中にあえて不規則を


日常生活には、時間に追われる感覚や効率を求められる緊張があります。朝は決まった時間に起きて、電車に乗り、仕事に追われ、夜は画面を見ながら眠りにつく。そんな“均質化”された毎日の中では、自分の「感覚」を感じる余地がなくなってしまうのです。


そこで、「今日はあの橋の上で夕陽を見よう」「少し早く帰って、公園に立ち寄ってみよう」といった“予定外”のゆらぎを入れる。それだけで、自分のリズムがほんの少し変わり、心に余白が生まれます。夕陽は、最も手軽で確かな「1/fリズムの贈りもの」かもしれません。



静けさの中にある豊かさ


ゆらぎがあるからこそ、心は深く満たされる。」

五木寛之(Itsuki Hiroyuki/日本/作家/1932–2024)


小説家・五木寛之氏のこの言葉は、人の心にとっての“余白”や“揺れ”が、どれだけ大切なものであるかを教えてくれます。完璧なもの、整いすぎたものではなく、少し崩れているもの、少し予測できないもの。それが私たちを安心させ、想像力を呼び戻してくれる。夕陽の時間もまた、まさにその「ゆらぎの象徴」なのだと感じています。



“いつもと違う時間”を少しだけ


忙しいときほど、私たちは予定を詰め込みたくなります。けれど、心を整えるためには、逆に“空白”をつくることが必だと思うのです。



1/fのリズムが自然界にあふれているように、私たちの心もまた「ゆらぎ」を必要としています。夕陽を観に行く、空を見上げてみる、そんな簡単な行為が、実は本能に根ざした“回復のスイッチ”になるのかもしれません。


ほんの数分、立ち止まる時間をつくってみてください。毎日見ているはずの空が、きっと違って見えるはずです。そしてその「違い」こそが、あなたの日常に優しい非日常をもたらしてくれるのです。今日という日に、少しだけ“ゆらぎ”を。あなたのリズムが、やさしく整っていきますように。




参考文献・参考資料


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