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「立ち止まる勇気」をくれた森の静けさ

更新日:2 日前

人生には、ときに「立ち止まること」が必要な場面があります。でも、それがなかなか難しく、止まってしまうと、取り残されてしまうような不安。歩みを止めたら、何かを失ってしまうのではという焦燥。

私自身、そんな思いを抱えながら前へ進もうとしていたとき、ある森の中で出会った“静けさ”が、その気持ちをそっとほどいてくれました。


森の中で感じた静けさの力と、そこから気づかされた「立ち止まることの意味」について、自然との対話を通して綴ってみたいと思います。



森の静けさが教えてくれたこと


音のない世界に身を置くということ


森の中に入って最初に驚かされるのは、その“音のなさ”です。けれどよく耳を澄ませてみると、そこには無音ではなく、柔らかな音が満ちていることに気づきます。

葉が擦れる音、鳥のさえずり、木々の間をすり抜ける風。それらは、主張しない、でも確かに存在している音。静けさという音のグラデーションです。


そんな森の中で足を止めてみると、自分の心のざわめきが少しずつ小さくなっていくのを感じました。


動かないことで見えてくるもの


歩くのをやめ、ただ立ち尽くしていると、今まで見えていなかったものが見えてきます。光と影の揺らぎ、小さな虫の羽音、根元に咲く名もなき花。それらは、足早に通り過ぎるだけでは出会えなかった存在です。



同じように、私たちの人生にも“見逃していた大切なもの”が、きっとあるのだと思います。そしてそれは、立ち止まることで初めて気づくことができるのではないでしょうか。



なぜ私たちは立ち止まれないのか


常に何かをしていなければという焦燥


現代社会では、「効率」や「生産性」が強く求められます。その中で、何もしていない時間に罪悪感を抱いてしまう人も多いのではないでしょうか。

けれど、自然は決して急ぎません。森の木々は、数十年、数百年という時間の中で、ただそこに在り続けます。

その悠然とした姿は、「焦らなくていいよ」と、どこか優しく語りかけてくれているように感じました。


「立ち止まる」ことは「戻る」ことではない


止まることは、後退ではありません。むしろ、自分の足元を見つめ直すための時間──これからの歩みを“深める”ための準備期間ではないかと思います。 森の中の静けさは、そのことを気づかせてくれます。立ち止まった自分を、否定するのではなく、肯定してくれる空間。そんな場所があるということが、どれだけ人を救うことでしょう。



沈黙の中にある再出発の力


木々は静かに立っている。だからこそ、風を感じ取ることができる。」 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry D. Thoreau/アメリカ/思想家・随筆家/1817–1862) この言葉は、自然とともに生きたソローの哲学をよく表しています。動かないからこそ、外の変化を感じ、自分の内面にも耳を澄ませることができる──そんな静かな強さが込められているように思います。 私たちもまた、立ち止まることでこそ、次の一歩を見つけられるのかもしれません。



森のような時間を暮らしの中に


森に行くことができなくても、私たちは日々の中に「立ち止まる時間」をつくることができるはずです。たとえば、夕陽が沈むのをじっと眺める時間、スマートフォンを置いて深呼吸をする数分間。そんな小さな静寂が、心を整えるきっかけになるかもしれません。


何もしていないようで、実は“とても大切なこと”をしている。それが、静かな時間の持つ力だと私は感じています。 森のように、ただそこに在ることで、私たちを癒してくれる存在がある。そして私たち自身も、そうなれるのかもしれません。



参考文献・参考資料



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