風にゆれる草木が教えてくれた執着を手放すこと
- KOJI Nishimura
- 1月13日
- 読了時間: 3分
更新日:6 日前
草木が風にゆれる姿を見て、どこか心がほどけるような気持ちになったことはありませんか?

自然の中で出会う植物たちは、無理に抗わず、ただ風に身をまかせて揺れています。その姿は、私たち人間が抱えている「執着」や「こだわり」を静かに手放すことの大切さを教えてくれているように思います。
草木の揺らぎに込められた“生き方のヒント”を探しながら、「手放すこと」の美しさについて綴ってみたいと思います。
自然は“抗わない”ことを選んでいる
揺れることは、弱さではない
風が吹けば、草はしなやかに揺れます。木の葉も音を立てながら左右に揺れ、やがてまた元の静けさに戻っていきます。
その姿は決して折れることも、風に逆らうこともありません。ただ、流れに身をまかせているだけ。
私たちはつい「揺らがない自分」「芯の強さ」に価値を置きがちですが、自然界の草木は、揺れながらもちゃんと根を張って、そこに存在しています。
揺れるということは、弱さではなく、しなやかさなのかもしれません。
変化を受け入れる強さ
四季を通じて、草木はその姿を大きく変えていきます。芽吹き、青々と茂り、やがて紅葉し、枯れていく。
そのどの段階も否定されることなく、美しさとして私たちの目に映ります。
植物は、自分のかたちや役割にしがみつくことなく、変化を受け入れていきます。この自然の在り方に、私は「執着を手放すこと」の本質があるように感じています。
執着を持つのは自然なこと
「こうでなければ」という気持ち
私たちは日々の生活のなかで、さまざまなものに執着しています。人間関係、成果、理想の自分。それらにしがみつくことで自分を保とうとすることも多いでしょう。
けれども、執着は知らず知らずのうちに心を縛り、視野を狭めてしまうこともあるように思います。

「こうでなければならない」「こうあるべきだ」と強く思うほどに、現実のゆらぎや変化を受け入れるのが難しくなってしまうのです。
風にゆれる草木のように
自然のなかで草木と向き合っていると、「そんなに頑張らなくてもいいのかもしれない」と感じることがあります。
思いどおりにならない状況も、自分が変わっていくことも、受け入れてしまえば案外ラクになるものです。
風に揺れる草木のように、そのときどきの環境に応じて“ゆらぐ”ことを許してみる。それは、執着を手放すことで得られる、心の自由ではないでしょうか。
手放すことで、手に入るもの
「手放すことで、はじめて手に入るものがある。」 老子(Laozi/中国/哲学者/紀元前6世紀頃)
この言葉は、まさに執着と自由の関係を語っているように感じます。
何かにしがみつく手をゆるめたとき、そこに新しい空間が生まれる。その空間にこそ、新しい出会いや気づきが流れ込んでくるのではないでしょうか。

自然は常に変化しているのに、私たちはなぜ変わることを怖れるのか。その問いへのひとつの答えが、風に揺れる草木の姿の中に隠れているように思います。
揺らぎの美しさを感じてみる
自然を眺める時間は、私たちの心をやわらかくする時間でもあります。草木のようにしなやかに揺れることを、もっと肯定していいのではないでしょうか。
揺らぐことは、迷うことでも、弱さでもありません。それは、「今」という瞬間に正直に生きている証なのだと思います。
もし今、何かに執着して苦しくなっているなら、風にゆれる草木を眺めてみてください。その姿が、あなたにとっての“手放すヒント”になるかもしれません。
参考文献・参考資料
道教思想と老子の言葉(中国古典研究会)https://laozi-philosophy.cn/tao_te_ching
自然のリズムと人間心理(環境心理学会)https://www.jepa.gr.jp/research/nature_emotion2021
風と植物の適応性に関する生態学的研究(日本植物学会)https://www.jspp.org/plantstudy/wind_adaptation
茶道にみる「手放す」美学(日本文化論集)https://nihon-bunka.or.jp/essay/lettinggo2020